絵金の流れ組む土佐凧、フラフ  幕末の町絵師・弘瀬金蔵は幼少から画才に秀で、江戸に出て狩野洞白に師事。帰郷後は土佐藩家老桐野家のお抱え絵師となるが、狩野探幽の贋作事件を起こし城下追放となる。その後在郷を放浪しながら紺屋、染物屋の下絵、凧、幟などを描き暮らす。彼を「絵金」の名で現代に伝えるのは彼の芝居絵が庶民の人気を博したため。筆勢は力強く、赤、墨、緑のおどろおどろしい色彩が歌舞伎芝居の一場面を描く。絵金の叔母が赤岡で回船業を営む宮谷家に嫁しており、その縁で赤岡に身を寄せ、このころ芝居絵を大成する。代表的な芝居絵の多くを各家で収蔵する赤岡町では毎年夏に「絵金祭り」が開かれている。

五代目毅氏 この赤岡町の東隣香我美町で五代にわたって染織工芸を営むのが吉川毅(よしかわたけし)氏。初代金太郎は絵金に師事し狩野派の画風を学ぶ。一説には請われて芝居絵屏風も描き金太郎氏も「絵金」と呼ばれることがあったという。二代・馬太郎を経て、三代・半蔵は日本画家としても有名。絵金がもっとも信頼したという愛弟子、彼末提馬(かのすえていま)に師事し狩野派と絵金の画風を学ぶ、師の死後柳本素石(やなぎもとそせき)にも師事し繊細な四条派の画風を学ぶ。両師匠から「一渓斎」、「素竹」という雅号をおくられた半蔵は伝承者に「一渓」という名を譲る
 初代から毅(たけし)氏の五代にわたり、凧2割、フラフや幟などの染織が8割という仕事内容は大きく変わらないそうだ。フラフや幟と同じく凧も戦前までは慶祝の品で、男子誕生や還暦のお祝いなどには家の隆盛を願いに盛んに上げられていた。だが昭和50年代の民芸ブーム以降、本来の使われ方と異なりもっぱらインテリアとしての需要が多く、四代目、故・登志之(としゆき)氏は「父・半蔵が描く凧を並んで待っていた子どもらの姿がなつかしい」と語っていた。 
昭和25年から「筒描き」という伝統染織手法を受け継いだ登志之氏は平成8年には「現代の名工」に認定、平成12年には「黄綬褒章」を受賞した。平成22年没。 
また、五代目・毅氏は平成23年に高知県より土佐伝統技能継承者として「土佐の匠」の認定を受けた。。

タペストリー 故・登志之氏は、生前、三代・半蔵氏の薫陶もさることながら、現在まで続く伝統の大切さを語っていた。「一渓」の名を見なくても優れたバランス、指先まで感じる力強さ、端整な顔立ちは吉川家の「フラフ」とすぐに分かる。五代にわたる「絵金」との交流は脈々と今の仕事に生かされている。「なんちゃあじゃない。ただ一筋なだけです」とこともなく語る登志之氏だったが、入門当時は手本を元に何十枚書いても自分の気に入る絵にならず「50枚描いてやっと1、2枚ましなもんが描ける有様でした」と語っていた。五代目・毅氏は、今も残る安政六年の「絵手本」は誰の手になるかは分からないものの、「めくるたびにヒントになります」という。
 また、最近では毅氏が手がけるのは大きなフラフの伝統的絵柄をベースに、現代の住まいにもマッチする「タペストリー」の数々。カラシ色のタペストリーは姫だるまが描かれ「女性に人気なんです」という。一枚一枚が手づくり品のため絵柄のアレンジや、配色、サイズ、名前入れなどは時間さえ都合がつけば相談に応じることができるそうで、取材の際には特注の「風神、雷神」のフラフを作っている最中だった。
 オランダ語の旗を語源に、大漁旗をイメージし高知市以東で盛んに男子の節句に上げられるフラフ。よさこい祭りの全国伝播にともない、先頭ではためくフラフも全国各地から注文が寄せられるようになったという。過去には宮内庁からも注文が入り、また外国にも紹介されている。幕末の土佐の庶民が熱狂的に支持した絵金が、時代を超え海をも渡っている。

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